名護の風 ワンパンマン浦野 物語

=名護の風 ワンパンマン浦野 物語=

著者・岩倉豪




ワンパンマン浦野との出会いから話を始めさせて頂きましょう。

まずワンパンマン浦野との邂逅を語るのに,彼との出会いは2017年4月23日、沖縄県名護市・名護市民会館・中ホールで旗揚げ戦行った「LEQUIO BATTLE NAGO Vol.1」の会場でワンパンマン浦野と出会う。カメラマンとして朝の4時に愛知県の自宅を出て午後11時に沖縄県名護市の試合会場に入ると黒縁メガネの巨漢、名護ファイティングスポーツ実行委員代表を務め、レキオバトル代表も務める大島健太がいた。

=キック界の無謀王・大島健太=


彼はキックボクシングに出会った十代中頃から、その魅了に憑かれてボクシングを経てキックボクサーになり、2年間のタイでの生活で金銭に苦しむとタイ人トレーナーのウィサヌサックに猟銃を借りジャングルに入り猛禽類や野獣などを狩って飢えをしのぎ、狩りの途中に共産党ゲリラと鉢合わせになり派手な銃撃戦を演じ一度は撃退したが、大島がタイで住む家までゲリラが報復に来たので、K-1で活躍したスタン・ザ・マンのタイにあるパタヤの自宅に逃げ込み、いきなり住み込みながら日夜スタン・ザ・マンとスパーリングの日々、一度なんか肘の打ち合いの練習をして両者血まみれになり警察まで呼ばれたバイオレンスな現役キックボクシング生活を経て、気づけば25年以もキックの世界で生きており、現在もK-1、KNOCK OUT、や世界中のキックボクシング&ムエタイに幅広く選手のブッキング。マネージメントで暗躍する。キックの世界を渡り歩いた経歴は、キック興行「バンゲリングベイ」主催、キックボクシング団体の大手REBELS事務局長・IT'S SHOWTIME JAPANの理事・MA日本キックボクシング連盟、日本キックボクシング協会、新日本キックボクシング協会、J-NETWORK、沖縄の天下一スーパーファイトなどの興行運営を手伝いつつ色々なことを学び、現在はレキオバトル代表、自分の夢見るキックの世界を作る為に、夢のまだまだ折り返し地点にも到達していないキック馬鹿 。

2009年、キックの何でも屋として株式会社トライバスを設立。企画、営業、マネージング、ブッキング、マッチメイクなどなどキック関係なら何でも行い現在に至る

「キック、最高に面白いですよ! 皆さんも、是非、見るの、やるの、応援するので楽しみましょう!!!」 by 大島健太


話を戻し、レキオバトルの会場で大島健太から

「ワンパンマン浦野が試合に勝ったら彼女にプロポーズするから、そのつもりで撮影してください。名護ムエタイスクールの近藤代表や関係者もそのつもりで準備してます」

ちょっと待って下さい大島さん・・・これガチの真剣勝負ですよ!もし試合に負けたらどうするんですか?・・・こういう企画は、ふつう、問題がないように終わらせるためにエキシビジョンマッチにして行うのだが、いつも無謀な大島さんのやり方。

「負けたらプロポーズ中止、昔テレビでやっていたネルトン紅クジラ団みたいにネタ話になるだけです」

うわ~昭和風な流れ。そう来たか。もし負けた後の事を関係者が何にも考えてない。これってメチャメチャギャンブルなんじゃないでしょうか?このような人生で一番に大事な事を運(実力?)任せで行うのは危険な臭いがした試合前でした。

=ワンパンマン浦野のリングネームがなぜついたか?=


沖縄を代表するキックボクサーであり、中国の巨大格闘技イベント英雄伝説の64キロ級チャンピオンであり名護ムエタイスクールでワンパンマン浦野先輩にあたるマサ佐藤よりコメントを頂いた。

「真面目そうに見えて抜けてる所があり、試合の度に何か忘れ物をする。
選手として練習も真面目でヘトヘトになりながらも、スパーとかにも付き合う根性の持ち主、リングネームはワンパンマンとパンチの選手に見せかけて膝の選手」

また沖縄のキック関係者からアマチュア時代に2試合連続でもワンパン(パンチの一撃)でKOされたからワンパンマンの名が付いたという話も聞く、真相は闇の中である。
           
=ワンパンマン浦野の半生=

では静岡生まれのワンパンマン浦野がなぜ沖縄でキックボクシングをやっているか彼の半生を振り返ろう。
本名 「浦野太希」 年齢27歳、静岡県出身で現在は沖縄県在住、普通の田舎町で、普通の家庭で、四人兄弟の第一子として育ち、格闘技は沖縄に来てから名護ムエタイで始めた。

なぜ沖縄にいるかと言うと、高校中退後、(ヤンキーでも、いじめにあってたとかだったわけではなく、ただ学校いくモチベーションがわかず出席日数足らずに高2で辞めま。)少し飲食店で皿洗いのバイトをしたあと、足場鳶を18~22歳までやって、22になった辺りから仕事や人間関係に行き詰まり、それまでずっと実家暮らしだった僕は一度家を出に旅でた。

旅のいく先は沖縄。理由は、行ったこともない観光地への、ただの憧れ。行く前から一年ぐらいの人生探しの旅をして帰るつもりだったが、ちょうど四年前に、友達から2万で買ったワゴンRで友達(旅行気分で親には2週間程で帰ります。)と二人で静岡から鹿児島まで行って、フェリーで沖縄まで行き滞在する場所は来る前から名護市近辺で考えていた。
理由は、程よく街、だけど自然も近い。沖縄らしい風景もある。と思ったから。その勘は合っていたと今も思っている。

2週間程は遊んで、友達も帰り、一月程で名護のハローワークで見つけた、今も働いている会社でバイトを始めて数ヶ月後、名護ムエタイに健康の為通っていた社長(レキオバトルでオヤジタッグマッチに出てました)に誘われ、キックを始めた。

初めて出たアマの試合に負けたのと、沖縄来て何かを得たい、自分を変えたいと思い、プロを目指し、沖縄に来て、キック初めて、ガラッと人生変わりました。

多くの人と出会い、試合で外国にもいって、いろんな経験が出来て、愛する人とも出会い。これからも名護ムエタイで頑張っていきたいと思っています。


=LEQUIO BATTLE 第4試合 ヤシマ(プロポーズ)作戦=


【ワンパンマン浦野(夫)・談】
まず最初にワンパンマン浦野が彼女にプロポーズするまでにいきさつを説明しよう。
馴れ初めは、初めの印象は明るく可愛いちっちゃ丸い子って感じでした。ジムでは良く話す感じでしたが、好意までは持っていませんでした。
彼女のアタックも、正直うっとうしい時もありましたが、遊んでいくにつれ、好意を持ち、決定的だったのは、料理が美味しかった事、そうか胃袋掴まれるってこう言うことか、と思い。そこから付き合うことになりました。

【たにざきあんな(嫁)・談】
なれそめですが、私は2015年7月に入会しました。そこでプロを目指している浦野くんと出逢いました。
私は結婚を約束した方とお別れしてムエタイに没頭する日々でした(笑)なので、始めは、ジムや飲み会で話す程度で、会長や先輩がネタで「付き合えば?」と引っ付けようとしてきましたが、二人共全くその気がありませんでした~そのうち私の方が「仲良くなりたい」と思うようになり、「今日もジムに来るかな?」という感じでした。
彼のプロ査定試合と私のデビュー戦が同じ大会にあり、頑張っている姿を間近に見ることになりました。プロに合格したころ、30目前の女に近付くのは恐怖しかなかったと思いますが、私から猛アプローチをし、映画に行くことになり、私が歳上ということもあり、初めのデート(?)は敬語でした。
2017年の3月で交際1年になりました。仕事が忙しい彼です、まとまった休みがGW盆暮しかありません。よってGWは彼の実家に行くことが決まり戸惑っていました。
やがて4月になりすっかりレキオバトルに向けての浦野君は練習の日々。

【決戦・ヤシマ作戦発動】



2017年4月23日(日)そして運命の、その時がやってきた。試合会場の「ヤシマ(プロポーズ)作戦関係者、【司令官・大島健太】【現場指揮・名護ムエタイスクール近藤会長】【映像監修・岩倉】その他大勢が緊迫しながら、さながらエバンゲリオンのヤシマ作戦の如く各部署の連携で舞台が着々と用意され、ついにワンパンマン浦野がリングの上に上がる。

『ヤシマ作戦』作戦名は由来は、平家物語の「屋島の戦い」に基づき「屋島の戦い」では那須与一が平家の扇の的を矢で射落とした様子が描かれている。これは≪たにざきあんな(嫁)≫さんのハートを射抜くための大島健太発案の無謀な作戦である。

【レキオバトル大会本部・午後6時17分・大島健太幕僚長】
とどこおりなく第3試合が終わり、まもなく開始されるヤシマ作戦に関係者に緊張が走る。大島が本部関から立ち上がりインカムで関係各所に指示を飛ばし、連絡が伝わったのを確認し右手を真っすぐに頭上にあげて振り下ろし作戦が開始された。
大島は、演歌歌手の大御所・北島三郎の様にコブシを聞かせながらマイクを握りコールした。

「赤コーナーより、ワンパンマン浦野選手の入場」

リングに上がったワンパンマンだが、試合が始まるとパンチから組みつき首相撲、膝蹴りと特異なパターンを披露し、ともかくしつこく攻め抜く、対戦相手のルイージ選手が試合後に「ともかく攻撃がしつこくて根負けしました」と語ったぐらい、とりつかれたように前に出て戦う。そりゃそうだ!もし負けたらヤシマ作戦関係者に一生ネタにされてしまう。

見ている観客にまったく伝わらない気迫と緊張がリングの上にあった。

【赤コーナー現場指揮担当・名護ムエタイスクール・近藤会長】
1ROUND終了10秒前に「パッカ~ン!!」と大きな音を立ててパンチがワンパンマン浦野にさく裂し、フラフラフラとよろけた。近藤会長が・・・

「なにやっているんだ~!お前が効かされてどうする!!」

1ROUNDのゴングに助けられてワンパンマン浦野が赤コーナーに戻ると、頭を抱えながら近藤会長が困っていた。

「お前わかっているんだよな?ここで負けたら一生のネタになるんだぞ!」

怒気を含んだ発破をかけられ、汗が止まらないワンパンマン浦野、気持ちを切り替え2ROUNDぼリング上でともかく組み付き攻め抜くが倒しきれない!そのままラウンドが終わり最終ラウンドを迎えた。

最後の3ROUND普段おだやかな近藤会長が「浦野!そんなんでどうする!勝てないぞ!」と叫び頭を抱えながら指示を飛ばし、相手が膝蹴りで弱ったところを右のパンチの猛攻で、相手が動かなくなぅったとこでレフリーが試合を止めてKOを宣言。

ヤシマ作戦の関係者一同の苦労が報われた。

大島さん、お願いですから見切り発車の無謀な企画は関係者の心臓に悪いのでやめてください。


第4試合 65kg契約 3分3回戦 キックボクシングルール
◎ワンパンマン 浦野(名護ムエタイスクール)
×ルイージ(虎の穴/TENKAICHI KICK ライト級8位)
TKO 3R 1分40秒

ワンパンマン浦野は試合後に慣れぬ手つきでマイクを持ちパフォーマンスをすると花束を抱えながら片膝をつき「あんなさん。結婚してください」と叫ぶと、一瞬ガッツポーズを取った《たにざきあんな(嫁》が「ハイ」快諾し、ワンパンマン浦野が婚約指輪を(一緒に住んでいる自宅に隠していたようですが、全く未だにどこに隠していたのかわかりません byたにざきあんな)を取り出し、やさしく、その手に指輪をはめた





【ヤシマ作戦・関係者一同の感想】
試合で負けたら大変なことにあっていたので、あのプロポーズの裏側で大の大人が10人近く焦っていたのは間違いないです


=LEGIONin鹿児島2017 第1試合 キックボクシング=

それから2か月後・・・2017男6月25日鹿児島県オロシティーホールでワンパンマン浦野は、川脇 裕太(種子島道場)とキックルールで対戦することとなる。


レフリーロペスが1ROUND開始を合図の手を振るとゴングが鳴り、序盤戦に川脇の鋭いストレートの連打がワンパンマン浦野を襲う、浦野は得意の首相撲から膝蹴りで対抗するが細かいパンチ連打の川脇に自分の距離で戦いずらい状況だ、クリンチから離れると川脇のローキックが浦野の足を攻めるが、ミドルキックが得意な浦野が応戦、首相撲のさなか川島のこめかみから出血しドクターチェックで一時試合中断、再開されるがすぐに1ROUND終了

2ROUNDが開始されると、首相撲で攻める浦野に対し川脇がアッパーでの応戦を始める。首相撲で攻める浦野だが膝蹴りをするスペースを作った瞬間に川島のアッパーアッパーがダメージを与える。

アッパーからボディーブロー、そして顔面への右フック、川脇の高低差を意識したパンチが浦野を確実にダメージを与え削っていった。

最後のROUNDは川島の気合の入ったパンチとローキック、浦野が首相撲を組むが強引に川脇が押して距離を作りパンチを入れ終始、浦野が、押されパンチ、押されローキック、とどめの押し込みでスリップで転ぶとアグレッシブな川島な猛攻が最後まで続き試合結果は、判定3-0で川脇の勝利となった。

パンチに苦しめられ中盤から浦野は持ち味を生かしきれぬまま試合終了。




第1試合 キックボクシング 63kg契約 3分3R
×ワンパンマン 浦野(名護ムエタイスクール)
〇川脇 裕太(種子島道場)
判定3-0 (29-28 30-29 30-29)


=鹿児島ターミナル事件=

残念ながらワンパンマン浦野は負けてしまったが、翌日、名護ムエタイスクールの近藤会長とワンパンマン浦野は、私(岩倉)のとんでもないミスで、飛行機の時間を伝え間違い・・・本当は午前に乗らないといけないのを午後と伝え間違えっさせてしまい、飛行機に乗るときのトワイライト・ゾーン、出られず、入れない、戻れもしない。

アメリカのアカデミー俳優トム・ハンクス主演の映画の様に空港のターミナルで選手とセコンドを遭難させてしまった。

マジに焦ったが、訳あって空港から出られなくなった男が人々を魅了し、そして夢をかなえる話、に、ならないように近藤会長に連絡し「明日までにはすべて解決するでしょう」と言う状態にしようと奔走しました。



10年以上選手の飛行機チケットを取って試合を組んできたが、初めての痛恨のミス、以前ブラジル人が、前日の打ち上げで飲み過ぎて寝坊して飛行機に乗り遅れて帰れなくなりヒッチハイクで九州~名古屋に3日間かけて帰ってきた時間はあったが、こんなミスは初めてだった。

鹿児島空港から沖縄に動けず空港のロビーで呆然とさせてしまい、そう翌日まで沖縄に帰れない。鹿児島で余計に1泊過ごさせてしまい・・・近藤会長、ワンパンマン浦野選手、本当にご迷惑かけてごめんさなさいでした。

【注意・物語を面白くするために、多少盛ってあります】